歌手「夏川 玲」の日常を、気取らず気ままに書き綴った日記です。

ドラマ化できるよ・・・それ。感動で涙。
今日は実家に帰って、
母と、その親友のKさんのお買い物に付き合った。
女同士は気が楽ね。

Kさんは私の小学校の同級生のお母さんで、
妹同士も同級生。
娘同士の交流は全く無いけれど、
一人っ子同士の母とKさんはまるで姉妹。
頭脳明晰な姉(Kさん)すっとぼけた妹(母)という感じ?

Kさんの次女(妹の同級)の娘が先月子供を産んだ。
そもそも子供がいない私には、全くピント来ない話だが、
Kさんは60歳代前半でひ孫を授かったことになる。
玄孫も射程距離に入ってきた。

驚くのは、
Kさんの次女は、40歳で「おばあちゃん」になったということだ。
どんな気持ちなのか、想像すらできない。
あたしよりも若いおばあちゃん・・・・ありえん。
孫を連れていても、周りから見たら「お母さんと子供」にしか
みえないよね。
いまどき、40歳で子供を産む女性なんて珍しくもないし。

本題)
以前両親が住んでいた(私にとっても両親と暮らした最後の家)の
すぐ近所に、とてもハンサムな兄弟がいた。
お兄ちゃんは素敵なお嫁さんを見つけ、
結婚式目前。
招待状も発送し、式を挙げるのみ。
きっと二人にとって幸せの絶頂だったろう。

しかし、運命とは実に残酷で、
疲れやすくて変だなと思っていたお兄ちゃん。
実は白血病に侵されていた。

お兄ちゃんが生き延びる道は「骨髄移植」だけ。
兄弟の適合率がもっとも高く、四分の一とのこと。
数年前ドラマ化されたが、白血病の子供を救うために、
(CMで見た方も多いと思うが、新生児のへその緒に
含まれている「さい帯血」は型が一致すれば移植に使えるそうだ。
ドナーに負担をかけることも無いので、良い方法と言われる。)
次の子を出産するという現実もあるそうだ。

弟と型が一致。
弟から骨髄液の提供を受け、お兄ちゃんは生還。

お兄ちゃんが療養中に、窓から外を眺めていたのを
知っている。

今日、後日談を聞いた。

なんとその後、お兄ちゃんに骨髄液を提供した弟さんが、
同じ白血病を発症。
その弟からの提供で完治したお兄ちゃんが、
弟に骨髄液を提供。
弟も無事に生還し、今ではお嫁さんをもらって幸せにくらしているそうだ。

こんなことって本当にあるんだね。

お兄ちゃんは、弟に恩返ししたいと思っていたろう。
弟は、骨髄提供を受ける患者がどれほどの苦しみに耐えて、
それに望みを託して立ち向かうのか、知ったわけだ。

ドラマ化してほしい。
なんなら、私が取材をして本にしたいほどだ。

骨髄バンクから、一致したので提供して欲しいと申し出られたことは、
以前の日記にも書いた。
提供の意思を固め、検査をしたら白血球の異常減少で、見送られる結果になった。
その患者さん、今どうしているんだろうと事あるごとに思い出す。

妹が患者なら迷わない。きっと、妹もそう思ってくれると確信している。
でも、不幸にして適合しなかったら・・・。
他人の善意に頼るしかない。

とにかく、健康に留意して、
お役に立てる機会があったら、
迷わず、提供したい。
また、決意を新たにした。

ハンサム兄弟の幸せを心から祈りたい。



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同じ曲を・・・
良い曲は、本来それを聞く年齢に関係なく
良い曲だと感じるはずだ。
昔は、家族そろって同じ歌番組を見て、
一緒に歌ったりしたもんだ。
だから、いまでも同じ曲で盛り上がれる。
ある意味財産だと思う。

昨日、原宿の南国酒家さんで歌わせてもらった。
お客さんから言われた言葉。
「今の音楽はガチャガチャしていて駄目だ。
あんなものはミュージックとは言わない。」

ミュージックと言わないのかどうかは別として、
一体いつから音楽は世代間分裂したんだろう?
正直な話、私も生徒さんが歌わなければ
絶対に耳に入ってこなかっただろうなと思う曲が多い。
生徒さんのおかげで、最新のミュージックシーンを
肌で感じることが出来る。
ありがたいよね。
みなさん、ありがとう。

24歳のTちゃんがライブで弾き語りをした曲がある。
実に心に迫る歌詞で、
若い人にもこういう歌詞が理解されるのだという事実は、
私をとても嬉しくさせた。

それから半年後、
私よりも少し年上のMさんが同じ曲を選んだ。
娘さんの推薦だそうだが、
たまたまMさんの歌を聞いていたEさんも、
(私よりも年上、Mさんよりも年下)
歌詞が素晴らしいと言ってくれた。

Mさんの娘さんは、多分ライブでこの曲を歌ったTちゃんと
同じくらいの年齢だろうと思う。

よかった。
本当に良い曲なら、年齢は関係ないんだね。
20代のTちゃんが歌うこの曲も、
20代の娘さんを持つMさんが歌うこの曲も、
実に良い。

全然違う。
全然違うから、実に良い。

来月、結婚式に招かれている。
本人からリクエストがあったのだが、
一生懸命練習したが、どうにもピント来ない。

「この曲」を歌いたいと思う。
ボーイフレンドに歌って聞かせてみた。
私の発想には無い答えが帰ってきた。

「アカペラで歌えば良い。
君にとてもあってる。
アカペラの方が気持ちが伝わるような気がする。」

そうか。
それもいいかも知れない。
別にうまいか下手かじゃない。
どれだけ、彼等に贈る気持ちがあるかだ。

TちゃんとMさんが教えてくれた。
「それぞれの思い。」が素晴らしい歌を作り上げることを。
私のお祝いの心の全てを込めて、
アカペラで歌ってみるかとちょっと思ったりする。

う~む、いくらなんでも無謀かな・・・・。




私のささやかな幸せ。
最近は、やたらに天然温泉を謳う施設が増えた。
ドライブがてら温泉めぐりをするのが大好き。
それぞれ工夫を凝らし、結構おいしいものが食べられたり、
安い値段で小さなお風呂を貸しきりに出来たりする。

一応東京都の決まりでは、
男女で混浴できるのは、8歳くらいまでじゃなかったかな。
公共の施設では、たとえ親子であっても駄目なはずよ。

最近行った温泉には、ハンデキャッパー用の個室風呂があった。
洗い場までフラットになっているそうだ。
乳がんで乳房を取ってしまった女性が、
人から見られずに済むから・・・と利用したりもするそうだ。

なるほど・・・良いかもしれない。
そういえば、銭湯や温泉に年中行くけれど、
乳房を失ってしまった人って、見かけたことないもんなぁ。
そりゃ、見せたくないだろうし。
銭湯で特殊な湯浴み着で胸を隠して入っている人を見たことはある。

その人にしかわからない辛さを、
ちょっとした配慮でやわらげてあげる事が出来たら、
もっと素敵な世の中になるなぁなどとしみじみ思ったりする。

何の目的も無く「道の駅」に立ち寄るのもかなり好き。
地元の食べ物が安く手に入るのが良い。
最近では、秩父の道の駅をハシゴした。
八王子にもあるので、良く立ち寄る。

数年前に「道の駅」でしいたけの原木を見つけて買って来たことがある。
おじさんいわく、「わいてくるように生える。」というから
楽しみにしていたのに、小さいしいたけが一個生えただけだった。

騙されたと思って、庭の隅に転がしてすっかり忘れていたら、
いくつかの立派な干ししいたけが生えていた。
(あまりにも放っておいたので、せっかく生えたしいたけが、
そのまま乾燥して干ししいたけになってしまっていた。)
食べなかったが、一応戻してみたら超巨大しいたけだった。

発見以来、注目しているが生える気配は無い。

そうそう、ジャガイモの皮を庭に埋めたら
芽が出て立派に育っている。
ごみから収穫できるなんてなんてお得なんだ!
そのジャガイモの皮を埋め、また収穫・・・エンドレス。

そんなにうまくは行かないか。

近くの銭湯に行ったり、道の駅に行ったり、
庭の野菜を食べたり、ささやかだけど私の幸せな時間。


盛りだくさんの一日
最近の私はのんびり生きている。
ここ数年、とても無理をして生きていた気がするんだ。
無理はやめた。

今日は、お昼にHさんから電話をもらい、
30分近い長電話をした。
しかし、こんな風にHさんと話をするのは
初めてだったので新鮮だった。
私が仕事の関係で中断しなければならず
残念無念。

ここで、思わず掲示板に書いた
「マスク3枚重ねのつわもの」を目撃。
撮影したが、どうにも遠すぎて3枚重ね部分をはっきり目視できず。

そして、池袋のスタジオでFさんとお稽古。
このごろプロの方と一緒に出演する機会が増えて、
めきめきと腕を上げているFさん、
レベルアップに伴い、こちらの要求も高くなり、
結構ひいひい言ってた。

その後、かわの友希ちゃんと待ち合わせて、
錦糸町の謎のスペースへ!
先日も参加させてもらったイレギラーバンドの練習に乱入。
またまたキーボードで参加させてもらった。
この日は参加者が多く、賑やかで楽しいひと時だった。
途中、パーカッションを叩いたが、
私はどうしても左右反対でないと叩けないので、
我ながら見た目が変。

バンマスは宝くじやさんなので、
今売り出し中のジャンボを「連番」で購入。
私は絶対に「連番」派。
当たった暁に何をするか、すでに計画は立てた。
結果を待つのみ!!(笑)

友希ちゃんを残し、メンバーの皆さんとお別れし、
今度は銀座を目指す。
ピアニストの松川裕さんが面白いお店を紹介してくれた。
今夜は雰囲気を知るため&お店の方に顔見せ。
TAKAさんに会うのは久しぶり。
調子に乗って歌わせてもらってきた。

彼もギリシャの島々を旅したことがあるとかで、
サントリーニ島のロバの話で大いに盛り上がった。
本当に穏やかな人柄で、話していてホッとする。
何か、面白いことやろう!ということになり、
明るい気持ちになって帰路に着いた。

今日一日で、一体何人の人と笑って話をしただろう。
家に帰ったのは、1時を回っていたけれど、
犬たちを無理やり起こして、抱きしめながら一杯やった。
素敵な人に囲まれて、穏やかで素敵な毎日。

明日も、沢山の生徒さんに会えるぞ!


献血断られる。
私献血マニア?だ。
いや、別にマニアじゃないけれど、
私が産まれた時、母が沢山の血液をもらったらしい。
誰かが血液をくれたから、母が今この世にいるわけで、
恩返しのつもり。

バイクの免許を取った時に、
二俣川の試験場で献血コーナーがあったのを機会に、
当時から100回を達成したら引退するつもりで
献血を続けてきた。

現在83回。
達成まであと17回だ。
最近の私のペースは年に4~5回、多くても7回なので、
達成には3~4年くらいかかる見込みだ。
まだ40代か・・・・。引退は早すぎるか?

なんかね、血の濃さは男性並みらしい。
比重ではねられたことなんて、ただの一度もない。

信じたくないが、AB型は暑さ寒さ風の強さに多大なる影響を受け、
極端に献血者の増減があるらしいので、
私のような定期献血者はありがたいらしい。
ほんとかね?

AB型の皆さん!
暑くても、寒くても、風が強くても献血に行きましょう!

月曜日は、生徒さんが一人欠席になり、
いつもより早い時間に開放された。
んじゃ、献血ルームに寄ろう。
(成分献血専門だが、血管が細くおまけに
クエン酸に過剰反応するので、時間が人の倍かかる。)

池袋のいつもの献血ルームに行くと、
大きな張り紙。
「豚インフルエンザの影響を考慮し、
 帰国後4週間は献血することが出来ません。」

・・・・・・・駄目じゃん。

顔見知りのお兄さんにきいてみた。
「いつから出来るの?」
「帰国後4週間以降に来ていただいて、
先生の問診を受けていただいて、
その上でご相談という形です。」

初めて献血を拒否された。

別にどうでも良い話なのに、
なんかムッとする。
せっかく、これまで83回も献血をし、
(血管が細い関係で、一箇所しか取れる血管がないんだ。
だから、私の腕には針跡が目立つ。そんなリスクも省みず、
定期的に献血しているのだ。クエン酸の過剰反応で意識をなくして、
水戸黄門のあの場面を見逃してしまったこともあるぞ。)

白血球の型まで登録して、
緊急時にも快く出向いている優等生の私が血をあげるといっているのに、
断るとはどういう了見だ。

と、思った自分を「ほんとに小さい人間だ。」と
笑ってしまった。

うそうそ。
また2週間後に行くだけの話し。









保護してくれてありがとう。
mixiのパピヨンのコミュニティに参加している。
私が参加しているコミュニティの中では、参加人数が一番多く、
書き込みも活発だ。

そこに迷いパピヨンの話題があがった。
10歳を超える爺さんパピヨンが、
我が家の近所で保護されたらしい。
写真を見ると、うちの我がままパピヨン「キキ(11歳)」よりも爺さんに見える。

保護した方はマンション住まいの関係で、警察に届けたとのこと。
手入れされ、可愛がられているようなので、
飼い主はすぐに現れると思っていた。

思い出すのは、9年前。
まだ我が家で引き取ったばかりの白プードル「ジャッキー」が、
知人宅から逃げ出してしまったことがあった。

実は、里子とは言えキキはとても血統の良いパピヨンなので、
ふさわしい婿を見つけて子供を産ませ、
キキとキキ子(仮名)と暮らそうと思っていた。

しかし、ひょんなことから半年後にジャッキーを引き取ることになり、
直後にキキにヒートが訪れ、
プーピヨンを阻止すべく、とりあえずジャッキーを預けたのだ。

ジャッキーを地獄のような場所から救い出し、
彼の人生に始めての安らぎと暖かい寝床を与えた、
彼にとってまさに「神」である私が目の前からいなくなり、
捨てられたと思って不安になってしまったんだろう。
きっと、私を探しに出たんだよ。

いなくなったと聞いて、
行方不明になった場所の近くを叫びながら、
(半分泣きながら)探してあるいた。
犬の死骸が無いか、怪我をして蹲っていないか、
心配で胸が張り裂けそうとは、こういうことを言うんだと知った。
同時に、
ジャッキーは可愛いし、もしかしたら犬好きに拾われて、
帰ってこないかも知れないと、見事な親馬鹿ぶりも発揮した。

3日後、ジャッキーは警察に届けられた。
橋のたもとで蹲っているところを、通勤途中の会社員に保護された。
3日間どこで何を食べていたんだろう?
引き取りに行ったときのジャッキーは、
汚れて完全にグレーになっていた。
その後の下痢っぷりも見事だった。

話は戻ってパピ爺さんの飼い主は一向に現れない。
もしかすると、捨てられたのか・・・。
同じ老犬の飼い主としては考えたくないが。

月曜の10時に警察から保健所に引き渡されるという。
われながら馬鹿だなぁと思いつつ、一時預かりを申し出てしまった。
もし、飼い主が現れなかったら爺さん犬の里親を見つけるのは至難の業だ。
そんなのわかってる。
でも、捨てられてしまったとしたら、放っておけないよ。

保護した方と電話で相談し、あずかる決意を固め、(大げさ)
爺さんパピがいる警察に向かった。

警察の目の前で携帯が鳴る。
末尾が0110・・・警察からだ。

「飼い主さんらしき人が名乗り出てくれました。
これから確認に来るそうなので、結果を追って連絡します。」
とのこと。

心配しているコミュニティの皆さんに、その旨すぐに書き込みをした。
「飼い主さんでありますように!」
私と同じ祈りが続々と書き込まれる。

飼い主さんだった。

結局私は警察の前まで散歩に出ただけで、
なにもしなかったわけだが、
爺さんパピは、無事飼い主のもとに帰る事ができた。
嬉しかった。

世の中捨てたもんじゃないとあたたかい気持ちになれたのは、
爺さんパピを保護してくれたNさんに対して、
(車を運転中、飛び出してきたパピヨンを轢きそうになり、
慌てて近くのファミレス駐車場に車を止め、捕獲したとのことだ。)
全国の沢山のパピヨン好きの人々が、自分の飼い犬でも無いのに、
ましてやNさんの顔も知らないのに、
「保護してくれてありがとう。」と書き込んだことなんだ。
これには感動した。

もちろん私も、Nさんに対して保護してくれたことにお礼を言った。
言わずにはいられなかった。
だから、みんなの気持ちが嬉しかった。

Nさんにしてみれば、きっと当たり前のことをしただけなんだろう。

・・・・
今日、Nさんが訪ねてきてくれた。
「何かの縁」ということで。

とても綺麗なお嬢さんだった。
メールでのやりとりでも、電話での話しでも、
きっと優しさがにじみ出ているような方だろうと思っていたら、
その通りの素敵な人だった。
我が家の犬たちに沢山のお土産を持ってきてくれた。

しかし、見かけよらずかなりののん兵衛との事。
次回は、一杯やりましょうということで別れたが、
何かの縁だし、近所だし仲良くお付き合いできたらいいな。

人って良いなと思える出来事だった。










kiki一髪
我が家には、2匹の犬がいる。
一匹は、生まれながらに絹糸をまとっていると言われる
「パピヨン」のキキ(♀)。
200812062144001.jpg
もう一匹は、生まれながらにして羊毛をまとっている
(別に誰も言わない。)白「プードル」のジャッキー(♂)だ。
じゃき


どちらも里子として引き取り、すでに9年になる。
今年で12歳・・・元気一杯だがすでに高齢犬だ。

キキはあまのじゃくの最たるもので、
おいでと言えばそっぽを向き、
あっちへ行けというと擦り寄ってくる。

やたらと気が強く、近所の大型犬の鼻に噛み付いて
知らん顔しているような2,5キロのチビパピヨンだ。

近所の高校生が可愛らしい見た目にだまされて、
「きゃー、可愛い~♪」などと手を出そうものなら、
確実にガン吠えして噛み付く。
見た目はご覧のとおり可愛いが、性格は??だ。

さて、♀の犬と暮らしたことのある方には
お分かりいただけると思うが、
♀の食い意地は半端ではない。

お酒天国の開催が近づき、お稽古をしたり、
演出の最終練り直しなどをしているのだが、
煮詰まってしまったときには、庭に出て花を眺めたり
気分転換をすることにしている。

昨日も、犬たちと一緒に庭に出てボーっとしていた。
2匹をとても可愛がってくれているお隣さんが、
おやつをやろうと庭に来てくれた。

おやつをもらおうとお隣さんに向かって走り出す2匹。
私を含めこの2匹にかかわる全ての人間が、
わけ隔てなく2匹に同じおやつをやり、
同じように可愛がっているはずだ。

しかし、食い意地のはっているキキは、
一歩前を行くジャッキーに先を越されまいとして、
「あるもの」を飛び越え、彼を追い抜こうと考えた。

「ひらり」と美しい(親ばか)パピヨンが宙を舞う。

次の瞬間、
跳躍力不足か、目測を誤ったのか、
キキは、「あるもの」の中に見事に落ちてしまった。

驚いたのはお隣さん。
悲鳴にも近い叫び声を上げながらキキを救出。

なんと、キキは水を満タンにはってあった「バケツ」に
うまい具合にはまったのであった。
足4本は完全にバケツの中。
かろうじて頭と尻尾は外に出ている。
要するに、首の付け根と尻尾の付け根が、
バケツのふちに引っかかり、足は水中という状態。

あまりの馬鹿さ加減に言葉も無い。
そのままにして写真を撮りたいと思ったが、
お隣さんに人格を疑われてもなんだし、撮影はあきらめた。

救出後本人は涼しい顔をしていたが、胸中いかに?


















旅行日記⑩ 総括?働くということ。
今回の旅行で感じたこと。
もちろん、自然の美しさや歴史の重みを感じ、
ヨーロッパを旅する独特の感覚も味わい、
あれこれ思うところはあった。

しかし一番深く考えさせられたのは、
「働くということ」についてなんだ。
写真を貼ったが、いわゆる豪華客船での旅をしたわけだ。

私たちの快適な旅を支えてくれている、
クルーの働き振りを目の前で見続けた。
来る日も来る日も同じ時間に甲板を磨く人がいた。
ガラスを磨く人がいた。
我々が部屋を離れて食事をして戻ると、
部屋は綺麗に掃除されていた。
それも、日に何度もだ。
私にとっては8日間かもしれないが、
彼らは、実に9ヶ月間も船で働き続ける。

下船した日、船は再びバーリに向かい出航した。
延々と同じ場所を回り続け、
クルーにとっては同じことを繰り返す日々がまた
始まったわけだ。

「働く」とは、同じことをひたすら繰り返すことなんだね。
そこにどんな喜びや、どんな楽しみを見出すかで、
人生は大きく変わる。
考えてみれば歌手の私だって、
(最近、あんまり積極的に歌手活動はしていないが。)
同じことをひたすら繰り返しているに他ならない。

「お金のため」だけでは働けない。

そして、自分がいかに幸せかを知った。

ステージを見に来てくださる「人」に会うことができ、
同じ時間を共有することができる。
お教室に訪ねてきてくれる沢山の生徒さんと会うことができ、
生徒さんは、一緒に新しい事を発見し、
成長する喜びを運んできてくれる。
なんて豊かで素晴らしい毎日なんだ。

これまでも一人一人に誠実に向き合ってきたつもりだが、
これからはもっと努力しよう。
伝わるかどうかわからないが、少なくとも伝えようと努めよう。

せっかくの人生、せっかく何かの縁で知り合った人たち、
一緒になって楽しまなきゃ嘘だ。
私だけが幸せでも駄目だ。
周りにいる人の喜びや楽しみを、
共有してこその豊かな人生なんだね。

そして、何より健康に留意しなければ。
健康で、他人に対して誠実であれば、人生は何とかなる。
なぜかそんな事を強く実感した旅となった。

今回幹事としてこの旅のすべての手配をしてくれたTさん、
素晴らしい経験ができた。
本当にどうもありがとう。

帰国して4日が過ぎる。
私の手のひらを枕に眠る愛犬ジャッキーの体温が、
じんわりと幸せを伝えてくれる。
この穏やかな幸せがこれからもずっと続きますように。

追伸)
帰りの飛行機での機内上映の解説には笑った。
007だったのだが、「水の権利を貪る悪党を、
筋肉質のジェームズボンドが・・・・。」
まぁ、確かにボンドは筋肉質だろうとは思うけれど。
なぜわざわざ「筋肉質」?
本当は何て書きたかったのかね?

旅行日記⑨ ミュンヘン
最後の宿泊地ミュンヘンに到着。
さすがに大都市では携帯電話も自由に使える。
便利だなと感心したのは、
GPSで私の場所を判断し、
それぞれの国での時間と日本の時間を並べて表示してくれ、
それぞれの国で使えるように自動設定されること。

いろんな人から、「日本では大変なことになっている。」
「成田に着いてから大変かもしれないから覚悟したほうが良い」と
メールが来ている。

テレビでニュースを見ても、ドイツ語なのでほとんど聞き取れず、
映像で判断するしかない。
豚インフルエンザが拡大しているらしいのはわかるが、
ここドイツでは大した話題にもなっていない。
(というか、聞き取れないからわからない。)

ホテルはミュンヘンの空港から40分くらい電車で移動した場所だ。
途中菜の花が満開で、オリーブオイル文化圏から、
菜種油文化圏に来たことを実感。
正直、いくら体に良いといわれても、
必要以上にオリーブオイルをかけるのを好まないので、
ちょっとほっとする。

旅行の最後の夜ということで、ホテルに着いてから
地元の人が集まりそうな居酒屋を探してみる。
サッカーを見てみんなで盛り上がっている場所を見つけ入店。
外国人(私)超場違い。
手書きのメニューを見ても、さっぱりわからない。

わかったのは、パルメザン&ルッコラだけ。
肝心の何の料理にこれらがかかっているのか、
全くわからない。
英語のメニューが無いか聞いたら無いという。

店員のアドバイスを受けお肉を食べたが、
これまで魚介類中心の食事だったので、
とても美味しく感じる。

居心地は悪くなかったのだが、
いかんせん何にもわからないので、はしごすることに。
程近いバーに入ると、またしてもドイツ語のメニューしかない。

しかし、店員さんが明るくとても親切で、
英語のメニューは無いが、自分がアシストすると言ってくれた。
ソーセージが食べたいと無理にお願いしたら、
店員さんの賄いの品を出してくれた。
お勧めのトーストも美味しく、居心地もよく、
調子に乗って日本では飲んだことの無いビールをあれこれ試飲。
こちらではコーラよりもビールの方が安いとは言え、
二人で9杯飲んで、つまみ2品で計27ユーロ。(3700円)
いくら何でも安すぎる。

他の国に関しては日本でガイドブックを買ったが、
ミュンヘンに関しては、
「以前オリンピックがあった。その時は男子バレーが頑張った。」程度の
知識しかなく、ホテルで周辺のガイドをもらい、
翌日どこに行くか検討した。

何はともあれ、電車で6駅離れたミュンヘン・レジデンツ
だけは、押さえておかなければならないようだ。

翌日、なんと電車の切符の買い方が全くわからない。
(前日は、空港のインフォメーションで買った。)
英語で書かれた、エリアと値段の説明は理解できる。
しかし、自分の買いたいエリアの切符に対応しているボタンが
どれなのか全然わからないのだ。

クロアチアやギリシャでならともかく、
まさか、ドイツでこんな目にあうとは思ってもいなかった。
自販機の前であーでもないこーでもないと言っていたら、
見かねた紳士が買い方を教えてくれた。

一応このコンビ、学生時代の第二外国語はそろって「ドイツ語」だ。
要するに、何の役にも立っていないということだね。
あぁ、ビールを注文するとき「2」くらいはわかったぞ。

写真はレジデンツに向かう途中で見た建物。
塀の模様は、ペイントされたもんだ。
壁の模様


ミュンヘン・レジデンツとは、
ヴィッテルスバッハ王家代々の住居で、
内部はかなり広くて、
(何百室もあり、広いなんてもんじゃない。)
タペストリー、陶器、家具等の展示物も豊富だ。
(豊富なんてもんじゃない。)
特にAntiquariumは壮観で、
ヴィッテルスバッハ家代々の胸像が壁に飾られていた。
レジデンツ

いちいち部屋を移動するたびに、
「なにこれ??」「げーっ!?」などと、
驚きの声が勝手に出てしまう。
恐るべし、王族。

他にも見たいところがあったが、
レジデンツ見学に予想以上に時間がかかり、
その後は街を散歩する程度になってしまった。
この建物を眺めつつ、最後の食事。
快調に来ていた私だが、
(私は便秘をしない。時差も関係ないようで、
毎日快便の人なんだ。)
最終日にとうとう激しい下痢をした。
最後の食事は温かいミルクコーヒーとなった。
散策

楽しかった旅行もこれでおしまい。
次回は、最後に総括として
(最初は、総括だけのつもりでいた。)
感じたことを書いてみたい。


旅行日記⑧ 再びヴェネチア
ヴェネチアで下船し、
サンマルコ広場から水上バスでもう少し行った、
リド島にある今年で開業100年という五つ星ホテル、
エクセルシオールに宿泊。
エクセルシオール

素晴らしいホテルなのだが、
エレベーターの中も、お部屋の中も、
物凄い量の香水が振りかけられていて、
エレベーター内では息を止める始末。
いくらなんでも酷い。
多少の香りには慣れるもんだが、
いつまでたっても慣れられない。

石のベランダがついた窓を開け放ち、
とりあえず、ギリシャのブランデー「メタクサ」七つ星を舐める。

メタクサ

ホテルからサンマルコ広場まで船での送り迎えがあるので、
一息ついたところで、サンマルコ広場に向かう。
今日は、ヴェネチアの街を塔の上から眺めようというわけだ。
ヴェネチア一望

大聖堂は上から見るとこんな感じ。
大聖堂

広場はこんな感じだが、小さな白いテントが見えるだろうか?
それぞれにグランドピアノがおかれ、
5~6人程度の演奏家が、
競い合うように演奏を繰り広げている。
サンマルコ広場

この広場に来ればいつでもクラシックの生演奏が聞き放題。
子供の頃からこんな環境に育つんだから羨ましい。

ヴェネチアに行ったら、ゴンドラに乗るぞ!と
思ってはいたが、ため息の橋の周辺は修復中で、
スポンサーなのはわかるが、こんな広告に囲まれた状態だった。
完全に興ざめし、ゴンドラでため息橋の下を通るのは、
次回の宿題と決めて、とりあえず前でため息をついてきた。
ため息の橋の前で

くも蟹を食べさせてくれる老舗人気リストランテに行き、
食べてはみたが、日本で食べる毛蟹の方がずっと美味しいと思った。
それよりも、スカンピという手長海老が気に入ってしまい、
リストランテをはしごして、スカンピのグリルを食べて一杯。

こんなに飲み食いして大丈夫か?
と、さすがに不安になる。

自分のために唯一のお土産、
ガラスのペンを購入。

明日はとうとう最終日、ミュンヘンに向かう。



旅行日記⑦ ドブロブニク
船上泊の後、最後の停泊地
クロアチアのドブロブニクに到着。
船からも、その旧市街の様子が窺える。
船からのドブロブニク
クロアチアは最近まで内戦が続き、
ニュースで名前を耳にすることも多かった。
ここも、旧市街全体が世界遺産であり、
要塞でもある。
ドブロブニクでの私

通貨はユーロも使えるには使えるが、
一般的にはKn(クーナ)を利用する。
ユーロを利用すると、3割増しくらいに
なるようだ。

それにしてもユーロは便利だ。
今回のようにトランジットを含め5ヶ国を回るとなると、
それぞれの国の通貨を用意することを考えるだけで
面倒だ。

手数料よりも安くなると判断し、
クーナに両替し、
狭い路地にテーブルを並べているレストランで食事。
スカンピ(手長海老)のリゾットを食べた。
これまた美味。
今回は食事にはずれが無い。

そうそう、帰国してからわかったことだが、
同じ日の同じ時間に、
Hさんもドブロブニクを散策していたらしい。
クロアチアでバッタリ!なんてことも、
もしかしたらあり得たのかもしれない。

世界は広いようで狭い。
だから悪いことはしないほうが良いね。

ギリシャのミコノス島が「エーゲ海の真珠」なら、
ここドブロブニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれる。
ドブロブニク旧市街

街を囲む外壁に上ることができ、
一周回っても1時間程度だ。
内戦の爪あとを感じさせる場所もある。
修復後の建物と、
運良く残った建物の屋根の色が明かに違い、
穏やかな海と柔らかな風に吹かれながら、
複雑な思いに囚われる。

旧市街2
同じく旧市街

とか言いつつ、この日も非常に暑く城壁の売店で
ビールを購入。
クロアチアビール

何で争うかね?
こんな美しい海を眺めて暮らせる人間が、
何を不満に争うんだろう。

朝焼けに感動し、
夕焼けとは全く違う色をしていることを新鮮に感じ、
吸い込まれそうな海の「青」に、少し怖いような感覚を抱き、
あまりにも景色がはっきり見えて、
無色だと思っていた日本の空気には、
もしかしたら「濁り」という名の色があるのかも知れないと感じ、
進めども続く海の広さに、
いかに自分が小さな存在かを思い知る。
朝焼け

旅行を計画しているときに、ボーイフレンドが言った。
「きっと人生観が変わるよ。」

世界的不況と言われる今、
こんな贅沢な旅行はどんなもんかとも思ったが、
健康で、他人に対して誠実ならば何とでもなる。
日本に帰ったら、ますます人生を謳歌するぞと、固く決意。

船はヴェネチアに戻る。






旅行日記⑥ ロードスと船上泊
この旅も終盤に入ってきた。
相変わらず天気に恵まれ、日焼け止めは欠かせない。

ロードスは旧市街全てが世界遺産だ。
船から、旧市街を望むことがことができる。
ロードス旧市街

いや、日本でも似たようなもんだが、
世界遺産に店を構えて商売するってどうよ?
世界遺産の下で?

旧市街は観光客目当てなので、土産物屋ばかりだが、
笑ったのは、ブランド物の偽物が堂々と売られていること。
とくに、D&Gとアルマーニは大安売りだ。
いかにも粗悪なベルトに、これらのブランドのバックルを付けて
どこの店も店頭に並べている。

知的財産の侵害には無頓着みたい。
ギリシャでビール

さて、ギリシャに来てから「ビール」を注文すると、
大抵はこれが出てくるので、一枚。
地元のお酒を楽しむのもこの旅の目的のひとつだが、
世界には本当に見たことも無いお酒が
沢山あるね。
お酒天国のネタは絶対になくならないと確信した。

食べたいと思ったものは何でも食べよう。
この日はギリシャではお馴染みの、山羊乳チーズ
フェタを食べた。
好みだ。

ジャジキというヨーグルトにきゅうりの千切りを入れたサラダは、
付け合わせとして、いろんなものについてくる。

連れは、昨日食べた干し蛸を注文。
加工の仕方を聞いたら、丁寧に教えてくれた。
取れたての蛸を船上で加熱(ボイルでは無く炭焼き)し、
その後天日で数時間干した後、日陰で10時間干すらしい。
日本に帰ったらやってみよう。

そして、ガリテス・サガナキという海老を
フェタチーズとトマトソースと一緒にオーブンで焼く
料理を注文。ギリシャで食べた中で一番美味しかった。

城壁
ロードス

中世の面影を残すロードスの町並みを散策。
今日でギリシャともお別れだ。
また来られるといいな。

翌日は一日中船上で過ごすことになる。
船では、思い思いの場所でのんびり過ごすことができる。
日光浴を楽しむ人もいれば、
甲板
プールで遊ぶ人も、トラックで走る人も、ジムで鍛える人も、
ゲーセンやカジノで遊ぶ人も、生演奏を楽しむ人も、
そして踊る人も。
踊る

この日もフォーマルのディナーだった。
ドレスで参加。
ディナー

シェフやクルーの紹介があり、
みんなでナプキンを振り回し声援を送る。

ナプキンを振る

この日の劇場では歌手のコンサートがあった。
劇場での催しも船上での楽しみのひとつだ。
そういえばアクロバットショーも面白かったなぁ。

船は最後の停泊地、クロアチアの
ドブロブニクをめざす。


旅行日記⑤ ミコノス島
ミコノス島は、ヌーディストビーチや、
ゲイ専門のビーチがある。
半日もあれば一周できるほどの小さな島だが、
その美しさは島の中でも特別かも知れない。
ミコノスの街
空の青さよりも、海の方が青い。


島の美しさを堪能するのはもちろんだが、
とても楽しみにしていたのは、
島に住み着いているペリカンに出会うこと。
「どうかペリカンに会えます様に!」
祈りながら下船した。

今ではその役目を終えていて、
単なる街のシンボルトなっているが、
島のいたるところに風車がある。
藁がかぶせてあり、雀たちの憩いの場所になっている。
風車の前で

ちょうど花が美しい良い時期で、
白い壁に赤い花が美しく映えていた。
白い壁と赤い花

海賊から守るために、路地は入り組んだ
迷路のようになっている。
細い路地も、全て白いペインティングが施されている。
この「白」を守り抜くための予算は、
とんでもない金額になるようだ。

夕日と船

リトルベニスで夕日を見ながらの食事を楽しんだ。
大型客船は港に停泊できないので、
島までは、ボートで移動する。
自分の乗っている船と夕焼けを一緒に見られるなんて、
ちょっと素敵。

ギリシャ料理はそれほど美味しくないと
聞いていたが、そんなことは無いよ。
この日は、シーフードの盛り合わせを食べたが、
干し蛸のグリルとイカのフライは絶品だった。

何にでもオリーブオイルとオレガノをかけるけど。
日が沈み・・・

日が沈むと、船に灯りがともる。

船に戻るためのボート乗り場に向かうと、
物凄い行列が出来ていた。
しばらく乗れそうもないので、引き返して繁華街に戻った。

列の後ろに並ばずに街に戻って本当に良かった。

いた~!!
ペリカン発見。
最初は地面にいたが、大きな羽を広げて羽ばたきながら
丁度良い石の柱の上に。
街の人に可愛がられているこのペリカンには、
触ることも出来る。
生まれて初めて触ったペリカンに大喜び。
どれほど喜んだかは、写真を見てもらえれば
お分かりいただけると思う。
ペリカンに大喜び

船はギリシャ最後の停泊地ロードス島に向かう。

旅行日記④ サントリーニ島
本当に良いお天気!
どの停泊地でもオプションツアーがあるが、
個人では簡単には行けないだろうと思う場合だけ参加する。
今日は、サントリーニ島のてっぺんから景色を見たり、
この島の見所のダイジェスト版とも言えるツアーに参加した。
これがブドウ畑?
あちこちに見られるブドウ畑。
でも、なんだか変じゃない?
普通葡萄って棚を作るもんでしょ?

実は湿気が極端に少ないこの島では、
出来るだけ地面に這うように木を育て、
地面からの蒸気を取り込むことで葡萄を
育てるとのことだ。
サントリーニの崖
サントリーニ島は、噴火によって出来た、
断崖絶壁の島だ。
絵葉書に登場する、「白と青」の建物も綺麗だが、
こんな一面もある。

途中で、ワインの試飲と軽いおつまみが出された。
残念ながら、ワインは私の口には合わなかった。
ドルマダキアという、ひき肉やハーブを入れたお米を、
葡萄の葉で包んでスープで煮込むといギリシャ独特な
料理を食べたが、別に悪くは無いが、
今後特に好んで食べるものでも無いと思った。


白と青

この「白と青」の地域の家は、
30000ユーロ~40000ユーロで購入可能だ。
しかし、あまりにも古いため維持費が大変らしい。
電線が無ければ良い写真なのにね。
サントリーニの繁華街

島の繁華街というと、港の近くという気がするが、
サントリーニの繁華街は、断崖絶壁の上にある。

港に戻るには、もちろん徒歩での下山も可能だが、
ロープウェイか「ムロ」と呼ばれる、
大型のロバに乗ることが出来る。
ここは迷わずロバを選ぶ。
しかし、すぐにその選択は間違いだったかも知れないと気づく。
上りなら良いかもしれないが、
ロバの糞だらけの滑りそうな急坂を
ロバに乗って下るのは、想像以上に怖く、
(前を行くロバを抜こうとして、上に乗る私を無視して
壁際に突っ込んでいったりとか。)
摑まる手も痛くなり、
最初は叫んで大騒ぎした。
景色を楽しむどころではない。
これが20分も続くのかと思ったら悲しくなった。
玲ロバに乗る

ロバといっても想像していた大きさではなく、
乗るのが大変なくらい大きいんだ。
おまけに私には大きいロバがあたってしまい、
他の人よりも高い位置に座っているわけだ。

しかし5分も乗ると慣れてきて、
終わってみたら面白かった。
私を乗せてくれたムロちゃんんと記念撮影♪
この子に乗った

船はミコノス島へ向かう。



旅行日記③ カタコロン
カタコロンの港に向かう。
このころから、海の色が明かに変わってきたのを感じる。
緑色に近かった海が「青」になった。
海の色が・・・
もう少し進んだら、お約束のあの歌をうたわなくては。(笑)

カタコロンと聞いてもピントこないと思うが、
私もあんまりピンと来ていなかった。
港自体は小さなもので、
散歩をしてもせいぜい10分程度だ。
この日はオプションツアーに参加して、
オリンピアを見学することにした。

オリンピア

東京で再びオリンピックをと、
盛り上がっているようだが、(私はその必要は無いと思っている。)
初めてオリンピックが行われた会場を見学した。

原型をとどめていない部分が多く、
(貴重な彫刻などは博物館に保存されている。)
なんとなく想像できるように一部は
修復されているが、実際はこんな感じで、
壊れたまま無造作に転がっている。
だからこそ、古さを感じるとも言えなくは無いが。
実際は転がっている

会場の見学を終えて、博物館で全体を修復した
模型を見て初めて、なんとなく納得。

このゲートをくぐりトラック技場に入る。
ゲートを抜けると

ここに当時使われたままの、
短距離走のスタートラインとゴールラインが残っている。
子供たちは全力で駆け抜け、
大人たちは「記念に」と、歩く。
私もスタートラインで記念撮影。
スタートライン!

この日の気温は18度程度のはずが、
とんでもなく暑い。

博物館では、スポーツメーカー「ナイキ」の
マークの元になっている、
「ナイキ」の像や、
ナイキ

あのエルメス像を見ることができる。
まるで絵葉書のような綺麗な一枚を残せた。
これはとても気に入っている一枚だ。
エルメス
おまけにエルメスのお尻を。
エルメスのお尻

こんなものを紀元前に作っているんだな。
歴史が得意でない私には、
「紀元前」と言われても正直ピンと来ないよ。

今回私が乗った船と記念撮影。
働いているクルーの数なんと1000人を超える。
乗船しているお客も2000人を超えている。
今更だが、何で沈まないのか不思議だ。
船と私

今夜は、船長主催のフォーマルディナーだ。
本来は早い時間に予約してあったのだが、
オプションツアーに参加した関係上間に合わず、
遅い時間のディナーに変更してもらったら、
周囲に日本人が全くいないテーブルに案内された。

気合を入れて着物で参加したら、
フランス人に大喜びされ、
一緒に撮影して欲しいと言われ、
何人かの方との撮影に応じた。
いい加減な化繊の着物なので、
ちょっと申し訳ない気持ちになるが、
帯は大正時代の可愛いアンティークだし、いいか。

漆の箸や、和物の小物も完璧に揃えていたので、
それにも喜んでもらえて、日本の素晴らしい文化を
ちょっとは伝えられたかなと思う。(大げさ)
気合で着物を着る!

ディナーの後、着物のままカジノに行く。

そして、明日は待ちに待った憧れの島、
サントリーニとミコノスが私を待っている。
快晴の予報。







旅行日記② バーリ
プーリア州の州都バーリは、
西暦1000年以降に繁栄しだした比較的新しい町だ。
(要するに紀元前では無いってことだ。)

旧市街と、駅を中心とした新市街が並んでいるが、
新市街は碁盤のように整備され、
イメージとしては札幌に似てるかも。

船を降りて旧市街を散歩。
要塞と城壁に囲まれた小さな街だ。

突然目の前にあらわれた城壁。
バーリの城壁
ちょっと南国っぽい?

バーリの城壁2

比較的新しい街と聞いた割には、
歴史を感じる。
明日から向かうギリシャでは、
さらに古いものを見るわけで、
正直、気が遠くなりそうだ。

旧市街路地

旧市街の路地。
国によって守られている旧市街でも、
当たり前だが、人は暮らしている。
そして、人が穏やかに暮らしているこの街を、
我々観光客は勝手に覗いて見て回る。
洗濯物を干している人と目があったりすると、
悪いなぁ・・・と思うよ。

大聖堂
この大聖堂は見所のひとつだが、
小さな旧市街のあちらこちらに見られる、
何気ない教会に面白い物を見る。

髑髏を掲げる教会とかね。
髑髏の教会

聖ピエトロの像はビデオには残っていたが、
写真は残っていなかった。
これは、ピエトロの像から見た広場の様子。

聖ピエトロの脇

天気が良すぎて太陽が目に痛い。
船はイタリアを離れ
ギリシャのカタコロンを目指す。
ヘルメスが私を待っている。






旅行記① まずはヴェネチア
久しぶりに海外旅行に行ってきた。
どうせ行くなら思い切った旅行をしようということになり、
ギリシャの島々を含む4ヶ国を回ることにした。
日記には総括だけを書くつもりだったが、
自分のために詳しく書いて残しておく気になった。

まずはチューリッヒに向かう・・と言っても乗り換えのため。
成田強風で離陸が大幅に遅れたが、早朝に出たもんで
機内に乗り込んで即熟睡。
頭の片隅で「全然飛ばないなぁ・・・。」と思いつつ、
40分以上も遅れたのを知ったのはチューリッヒについてから。

空港でスイスのビールを一杯。

ヴェニスのマルコポーロ空港に向かう間、
うとうとしつつ、アルプスの山々を見て思う。
山の中腹にもハイジが住めそうな場所などどこにも見当たらない。
やはりあれは単なる架空の話だったか。
というか、いくら偏屈爺さんでもここには住めない。
きっと、ハイジが住んでいる山はもっと向こう(意味不明)だ。

ヴェネツィアはあいにく小雨だった。
水上バスでまずはサンマルコ広場に向かう。
パッケージツアーでは無いので、
かなり重いスーツケースを引きながら、予約したホテルを探す。
サンマルコ広場の裏あたりのはずなのだが、
水路も入り混じった完全な迷路になっていて、
道を聞いた相手も説明のしようが無いようで、
丁寧ながらもあいまいに方向を示すだけ。

日の入りが8時を過ぎるとは言え、すでに暗くなってきている。
ホテルに近づいているはずなのにたどり着けない。
この旅が珍道中になる予感がした。

小雨のサンマルコ広場

何とかホテルにたどり着き、
リストランテを探し食事をした。
リストランテとバーカロの間くらいかな。
カルツォーネは見ただけでお腹一杯になりそうな
大きさだった。

翌日は天気も良くなったので迷路を散策し、
16世紀に作られたという、リヤルト橋などを見に行った。

リヤルト橋から

この写真は、リヤルト橋のてっぺんでの一枚。

リヤルト橋の上から

たくさんのオープンカフェがみえる。
リヤルト橋を眺められる、この写真の緑の屋根のお店で
お昼ご飯を食べることに。
流暢に語れる唯一のイタリア語はワインの注文だ。
早速駆使。通じて満足。

薦められるままに、鱸とペスカトーレを食す。
美味♪

雀、手から食べる

食事をしていたら雀が寄ってきた。
鳩ならともかく雀は警戒心が強く人の手から餌をもらったり
しないもんだと思っていたが、私の手から食べてくれた。

ヴェネチィアの迷路を散々散策し、
夕方にはこの旅の目的である、
エーゲ海と東地中海のクルーズ船に乗り込んだ。

希望すれば、毎晩イタリアンのフルコースが提供されるのだが、
何せ量が多すぎて半分も食べられない。
初日ですでにうんざりした。
ビュッフェの利用も出来るとの事なので、フォーマルデー以外は、
軽く済ませることにしようかな。

船は最初の寄港地イタリアのバーリに向かう。






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